「It’s never too late.」
ヴァヒド・ハリルホジッチ解任で自身の去就が気になって仕方ない、
パチューカ本田です
早いもので4月となり、今期も始まりました。
ネットで炎上とか、ゲス不倫とか、
新しいものを創り出していくクリエイターにとっては
生き辛い時代になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
最近、我が家の子どもたちの間でやたらと
三太郎の「やってみよう」がブームとなっております。
あのauのCMでお馴染みの曲ですが、
歌詞をチェックしてみるとやたらとポジティブな印象を受けます。
私自身、社会派ロッカー全盛の時代に青春を迎えたので、
パスタ作ったお前とか、マジ親に感謝とか、会いたくて震えたりする歌詞は
無条件に苦手意識が湧いてしまうのですが、
最近は音楽に関わらず、ゲーム、ファッション、映画、
全てのエンターテイメントにおいて
ライトで気軽に楽しめる物が好まれる傾向にあるようです。
SNSによって誰もが気軽にコミュニティーを持てるようになった反面、
「もともと特別なOnly one」だった存在は、
周りから見る者の「共感」に縛られることで特別なものを失い、
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃPOISON」となりました。
私はイタリアンシェフの経験がありますから、
「おいしいパスタ作った」のは私であり、
「家庭的なタイプの俺」に「マジ一目惚れ」されたのも私という事になります。
逆算するとつまり、「イタリアンシェフ」=「大親友のツレ」です。
しかし、私は「大貧民負けてマジ切れ」するような男と
関わりを持つことはありませんし、
「それ見て笑って楽しいね」などと言うことは断じてございません。
そもそもここで忘れてはいけないのは
「パスタは家庭的なのか」論争です。
ケチャップで仕上げた「ナポリタン」は家庭料理の代表かもしれませんが、
トマトソースと魚介をふんだんに使った「ブカティーニ・アッラ・ペスカトーレ」を
ウチのオカンが作ってくれた事はありません。
いよいよブログの内容がおかしくなったきましたが、
これは何者かによる「書き換え」もしくは「改ざん」があったのかと疑わざるを得ません。
振り返るより 振り向いて
掘り返すより 掘り出して
過ぎた話は ほどほどに
今の話をしよう
新しい発想や手法はいつの時代も批判にさらされながら
時を経て評価されていくもの。
今期は何を恐れること無く「やってみよう!」と思います。
これからも看板のオーエスアートをよろしくお願いいたします!
小泉