8月11日 快晴 走行距離553km
AM6:53 起床。
薄く開けた目に飛び込む深緑は窓にかけられた唐草模様のカーテン。厚みのある布の質感のノスタルジックな佇まいが良い。80年代を思わせる懐かしさ、そして暖かさを感じる。ふと幼少の頃に見ていた部屋の間取りをなんとなく思い浮かべた。
この大きな窓の向こうはホテルの談話室となっており、薄着でカーテンを開けたが最後、見知らぬ宿泊客とこんにちはである。全然知らなかったので早速昨晩は宿泊客と風呂あがり全裸でニアミスした。事案待ったなし、なんちゅう間取りだ。
さて2日目である。
「ちょっと佐世保まで行ってきます()」と勢いだけで走り出し今や大阪にいる。年を重ねるにつれ歯止めの利かない無計画性を感じつつも逆に楽しくなっている自分も確かにここにいる。
とはいえ大阪、まだ行き先の変更は利く圏内ではある。伊勢に行くも良し、山陰に出向くも良し、瀬戸内周遊も悪くない。かのUSJですら今や射程距離にいる。そう、あのホグ●ーツに自分はリーチしているのだ。心の扉がアロホモーラである。
だが──
そう、忘れてはいない。あの日、あの瞬間見た島の景色──
九十九島のあの景色を。
見に行こうじゃないか。こんな阿呆な計画、これから先そうそうできるもんじゃない。ならば突き進もう。行き先は佐世保、展海峰である。そうだ、揺るがずに行こう。
さて、ここ大阪から佐世保まではざっと800km以上。んっ?あれっ?ちょっとまって計算があわないよ?これ休み足りな昨日の倍だ。そう、舐めてかかれない現実が目の前に横たわっているのだ。
7時頃には出ようと決めていたので慌ててシャワーを浴び、急ぎ身支度を整える。
出発の準備を終えると、昨晩の帰りに買っておいたパンをかじりながら全日本道路地図(なんか荷物になってきた・・・)を広げた。
昨晩は中国豊中ICで降りたが、どうやら再び高速に乗るには中国池田ICからになるようだ。ほう、とするとすこぶる近い。
ホテルからはおよそ5分、ほぼ1ルートで行けそうな距離に位置している。いいぞ、これなら迷うこともあるまい。
今日とりあえずの進路は西へ。他は気分で決めよう。敷かれたレールの上ではなく、行きたい所に行く。それこそがツーリングの醍醐味というものだ。きっと。たぶん。
チェックアウト(←無人)を済ませると手動であける自動ドアを抜けて外へ。空気がふわりと動いた。車の走行音を遠くに感じる。
しかしながらとても静かな朝だ。歩く足音が近く、スズメの声が清清しい。見上げた夏の空は高い。今日も良い天気になりそうだ。
駅に近いとはいえ、まだ人々の活動時間ではないようだった。そんな閑静な住宅街を歩く赤いヘルメットは右手に荷物満載、左手にカメラなライダースジャケットの男。もうすぐ35歳。
ホテルから駐車場までは10秒程度、若干息切れしつつ送迎のバスに挟まれてポツンとお待ちしている愛車の元へたどり着いた。タンクにポンと手を載せる。
「今日もよろしくな」
孤独をこじらせ決して独り言ではない。これはそう、同じ目的を持ち共に旅をする相棒へかける挨拶のようなものだ。
「アドベンチャー」というジャンルを冠する今の相棒とは初めての長距離になる今回の旅。まだ始まったばかりではあるが、どこへでも連れていってくれそうな頼もしさを感じていた。関東圏は一通り走った自分もここから先は全て未開の土地、今や気分はお台●冒険王である。
バッグ、車載カメラを取り付け、準備は整った。
今日は佐世保へ行く。
あの日見た景色を、この目で見に行こう。
とか思っていたら30分ほど迷った。
というのも最初の中国池田ICアタックで高速に乗るのを失敗した。
いや、あのですね、信号が変わって左折したらすぐにICの入り口、5車線?あるから4車線跨ぐしかないんだが交通量半端ない→そもそも車線変更すら出来ない→ICが遥か後ろとか無茶振りすぎやしませんか。
仕方が無いのでぐるっと回ろうと思ったのが失敗の元で、その後大学の敷地とか住宅街とかなんかもう良く分からない所をぐるぐる回ってスタート地点(さっき失敗した信号)に戻ったのが30分後。おお?ビックリするくらい白目。
しかしなんだかんだで最初の地点に戻ってきてしまった。さっきと同じ景色、同じ標識を目の前に強い既視感を感じる。えっ、どうしよう、これで車線変更できなかったらまた30分?
絶対に失敗できないICがここにある──
信号の先頭で停車。ここまでは良い。右舷からの交通量を目視。多杉。白目。歩行者信号が点滅を始める。来るぞ・・・黄色から赤へ────ここだ。
神経を研ぎ澄ませろ。クラッチと己の体を繋ぐんだ。失敗は許されない、今だけは慎重に、大胆に、そして果敢に車線を変更する───
かなり無理した←
でも乗った。中国自動車道に乗った。もう安心だ。敷かれたレーこのレールは佐世保へと続いている。
この先は神戸JCTから山陽道へ乗り、海沿いを行く。愛して止まない瀬戸内海を望む高速道路を爆走する。
もし時間があったらちょっとしまなみ街道とか寄っちゃう?寄っちゃう?とか思いながら照りつける太陽を横目にひた走る。
佐世保へ向かう道中でどうしても寄ってみたい場所が2つあった。その内のひとつが「鞆の浦(とものうら)」である。
宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」のモデルになった港町だ。それがこの先、岡山を越えた先にあるという。
京都は勿論のこと、金沢の茶屋街、長野の妻籠・馬込、瀬戸内で出会った生口島、小豆島の醤の里──
宿場町や古都、武家屋敷といった日本独自の文化が根付く街並みに心惹かれ、気がつけば島旅が人生の糧となりつつある自分がたまたま覗いたwebサイトに鞆の浦が掲載されており、
その景色が強く心に残った。それが鞆の浦との出会いだった。
観光地ではなく、昔から続く人々の暮らしが今もその港に溶け込み、ゆっくりとした時間が流れる街。
それは長野・奈良井宿の喫茶で店主から伺った話のように、その土地に暮らす人々が大切に培ってきた文化そのものが持つ美しさである。
写真から、文章から、その空気が少しずつ心に流れてくる。今回の旅で行く先に、その鞆の浦があるというのだからたまらない。
実際に見てみたい────
そう、今回の旅は自由。気の向くままに走り、その土地で出会う景色、名産品を楽しみ、そして佐世保へと至る旅。
鞆の浦の近くまで行くのならこれは見に行くしかあるまい、という極簡単な理由である。行かない理由はないだろう。
山陽道岡山JCTを越え、やがて福山西ICが見えてきた。ここだ。ここで降りて南下すると鞆の浦へと行き着く。
橋がかけられているのであろうか、起伏があり道幅の広い道を南へ。港が近いせいか車線が多い。とても走りやすく、整備された道だ。そして行く先の青い道路標識に「鞆の浦」の表示が出た瞬間のあの興奮は今もまだ冷め遣らない。
しばらく市街地を進むと、次第に道幅も狭く山間に向かう風情へと変わる。向かう先に車が多いのはきっと同じ目的地に違いない───
そう思わせる何かがあった。予感めいたものだろうか。彼らについて行けば鞆の浦へとたどり着けるに違いない。
どことなく潮の香りを運ぶ風を感じつつ道成にのんびり進むと、やがて年代を感じる建物がぽつぽつと視界に映りこんで来はじめる。そして何気なく現れる「歴史のまち 鞆の浦へようこそ」の看板──
これだ。
この雰囲気。そう、とてもいい。
素朴で、暖かな街の人情を感じる。錆の浮いたトタンに設えられた看板は歳月を経て風景に溶け込み、そして街の景観をよりくっきりと際立たせていく。
車同士がすれ違う事すら難しそうな道の両脇に建ち並ぶ建物は古く、色濃く、この先に待ち受ける景色への期待が膨らむ。その瞬間の高揚感はやはりツーリングの醍醐味というべきであろう。今自分はまさに冒険の最中なのである。
程なくして視界が開けた。どうやら半島の突端、突き当たりにあたるここが「鞆の浦」の中心のようだ。
漁船だろうか、多数繋留されている小型の船を湾が囲み、その周りに低い屋根の家屋が並ぶ。見渡すと山の緑がまるで覆うように視界を囲んでいる。
突き当たりにポツンとバス停があり、観光向けの駐車場が距離をおいて整備されていた。バイクを停められそうな場所を探すと道路わきに空き地があり、そこに車が数台停まっているのを見つけた。バイクは見あたらない。一瞬迷ったがそこにお邪魔させてもらう事にする。
さて────
鞆の浦に来たい。見てみたい。ただそれだけで来てしまったので皆目どこに行けば観光できるのかわからない34歳。
しばし眺めていると、どうやら人の流れが一定の方向に向いているのを見つけた。なるほど、どうやら観光客はこの先に見える灯篭のような物に向かっている。そちらに行けば観光が出来そうだ。
バイクを降りて感じてはいたが、とても静かな街だ。
かすかに波音が聞こえる以外、まるで他の物音が一切消えてしまったかのように静かだった。気温は高く、容赦なく照りつける太陽に汗が噴出す。非常に暑い。ライダースをバッグにくくることにする。時刻はもうすぐ12時、ってちょっと待って、まだ大阪からちょこっとしか走っお昼時である。そういえばお腹もすいてきた。ああ、どこかで何か食べたい。自分の体にも給油しなければならない。
バッグに差し込んである何本目かわからない●ろはすを飲み干し、ひとまず人の流れに乗ることにする。
少し歩くと住宅街、古い町並みが見えてきた。木製の壁、朽ちた扉、屋根瓦・・・時代を感じさせる構造と石畳が雰囲気をつくっている。ああ・・・!うん、良い。とても良い雰囲気だ。ここで暮らしたい。こんな街で暮らしたら心が清らかになるに違いない(遠くを見つめながら
通り沿いには商店もあるようで、商談の声も時折耳に入った。ご家族連れとお店のおばちゃんが談笑している声が風に溶けて心地よい。風鈴の音がかすかに耳に届く。穏やかな空気──これが今も残る鞆の浦の面影なのだろう。
うだつ、と言ったか───
家屋の上方を見上げてカメラを構える。家と家の境に伸びる突き出した構造が太陽と重なり、眩しくも鈍い光りを揺蕩えている。気がつけば陽が高く昇っていた。そういえばお昼時だったのをすっかり失念しているではないか。ここは港町だ。何か食べるお店はあるだろうか。
「賞味期限無しですよー」
とんでもない言葉に目を向けると、そこには小さな瓶が並んでいた。これは醤油?お酒だろうか?足を止めた34歳におばちゃんが声をかける。
「鞆(ここの土地の人々は鞆の浦を「鞆」と呼ぶらしい)でしか作ってないお酒なんですよ。保命酒(ほうめいしゅ)」
「あ、これお酒なんですね。どんな味なんですか?」
「試飲できますよ。どうぞ飲んでいって」
「や、非常に飲みたいんですがバイクなんですよー」
「ツーリングですか?良いですねー。どこから来たんですか?」
「神奈川から」
「えっ」
近くに居た他のお客さんも声をかける。耳を傾けていると、どうやら生薬で作られたお酒らしく、とにかく身体に良いそうだ。そして賞味期限無し。どういう構造だ。
興味がわいてお店に入ってみる。すると扇風機(これがまたレトロでいい)がくるくると回る土間のような佇まいで、保命酒のみを扱っているようだ。瓶のサイズが4種類、味は同じらしい。要するに養命酒的なことなのだろうか。ここでしか作ってないお酒────かなり気になるが、ううん、苦いのは少し苦手かもしれない。
「夏バテにも効きます。健康、美容にも大変良いんですよ」
「そうなんですか。買います(即答)」
大きいの買った(眩しそうに目を細める)
あまり自分へのお土産を買わない人ではあるが、こういう土地の物には弱い。非常に弱い。いや何、これはお酒ではない。たまたまアルコールは入っているが、生きた薬なのだ。身体のためを思えばこその薬なのだ。だから違う。お酒が好きとかそういうんじゃない。これは決して己の欲からくる購買欲などでは決してな(ry
更に歩いていくと先ほど見つけた灯篭の前に来た。なんとなくここが観光の主役なんだろうと感じる。この傍らにあるのは郵便らしい。雰囲気のあるお店も並んでいる。おお、なんか歴史を感じる港町っぽいぞ。
見ていると観光客が灯篭の前で記念撮影をずっとしている。・・・なんだろう、この灯篭はそんなに記念撮影するような物なのだろうか。
後に調べたらなんとこの灯篭が鞆の浦のシンボルらしかった。
常夜燈(とうろどう=燈籠塔)といって、江戸期の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場跡、船番所跡がほぼ完全な形で現存しているのは、全国でも鞆港だけなんだそう。
ちなみにこの常夜燈は、海中の亀腹型石積まで含めると10mを越す大きさで、港の常夜燈としては日本一との事。
凄いところだった(遠くからカメラを構えながら)
この石段の下は海になっており、繋留された船が波音を奏でている。ひとしきり観光客が去ると、とたんに静かな港町へと様変わりする。
なんて────
しばし佇んだ。なんて長閑な場所なんだろうか。色々な宿場町や茶屋街を見てきたが、こういう素朴で静かな雰囲気はなかなか見ない。流れる汗はそのままに、微かに香る海風と波の音に身を預けると、なんだか急いでいた自分を恥じた。まったく、自分は何を急いでいたんだろうか。そうじゃなかった。全然そうじゃなかった。
今日これから800kmの道のりを走らなければならないのにもう13:00過何、今日はまだ半分もある。ゆっくり行こう。喉も渇いたし、ここらでちょいとお茶でも飲もうではないか。
氷の文字がなんともそそる。
店内が気になるけど外から見て通り過ぎる→でもやっぱり気になるから戻ってくる→しかし入り辛くて通り過ぎる→でもやっ(ry
あの日、あの瞬間にお店の前をうろうろしていた暑苦しい不審者は私です。
街の中に焼き物を売っているっぽい喫茶があって、焼き物がとても気になったので入ってみる事にした。ガラリと木製の引き戸を開けると中央にカウンターがあり、それを囲うようにカウンターが並んだお店だった。いらっしゃいませ、と女性の主人が控えめに声をかけてくる。一瞬迷った末、入り口目の前に腰掛けた。というか先ほどから暑すぎて汗がどくどく止まらない。服がびしょびしょだ。早くも塩を吹き始めている。黒い服がまるで塩昆布である。
とりあえずアイスコーヒーを注文、地図を広げて今後の行き先を確認していると「良かったらこれ、使ってください」冷たいお水と団扇を出してくれた。
佐世保おじさんは人情に飢えているようだ。とたんにもじもじする。
もごもごごとお礼を伝え、その恥ずかしさを紛らわすように店内をぐるりと見渡す。日本映画に出てきそうな絵になる佇まいだった。カウンター奥側はふすまがあり、その向こうは住居スペースになっているようだ。先ほどお客さんがお手洗いを仮にふすまの向こうへ消えたが、いろりが見えた気がする。
程なくしてアイスコーヒーが運ばれてきた。
あまりにも喉が渇いていたためすかさず口をつける。・・・う、旨い。深煎りか。ほのかな苦味と香ばしい香りが鼻腔につきぬける。思えばずっと水ばかり摂取しており、いまやきっと身体を作っているのはい●はすに違いない。重度の珈琲中毒でもある自分が珈琲の味をすっかり忘れていた。やはり一息つくのは珈琲に限る。
店主が声をかけてくれたのを機に道を尋ねてみた。
「ここから尾道へ行きたいんですが、下道で行けますでしょうか?」
「尾道は行けますよ。この、ええと、前の道をぐるっと・・・あ、今地図出しますね」
そう、ここ鞆の浦の西には尾道がある。風光明媚な鞆の浦からノスタルジック尾道がつながっている。この事実。港町、島旅が3度の飯より大好きな佐世保おじさんにはアドレナリン物である。
実は尾道には昨年訪れてはいるのだが、折角ここまで来たのに寄らないのは鮨屋に入って鮨を食べないくらい嘘であろうという訳で行くことにしたのだ。
古くからの景観が残る街を梯子・・・なんとも贅沢、これぞツーリングである。
そろそろ移動しようかと思っここで初めて鞆の浦観光マップを手に入れた。広い。鞆の浦は広かった。歩いて回れるそうだが、歩いて回ったら今日の宿が決まる。
どうやら鞆の浦は沼隈半島という辺りにあるらしく、ここから海沿いにぐるっと時計回りをすると尾道に行けるらしい。方向音痴に優しい半島だ。すばらしい。
アイスコーヒーを飲んで落ち着いた頃、店内に飾られている焼き物を拝見。やはり売り物のようだ。それぞれに値札がついている。しかも手ごろ。
その土地で生まれた物をその土地で買う・・・これぞお土産。という事で色が気に入ったフリーカップを購入。これでビールを飲むのだ。
しかしながら折角鞆の浦に居るのでもうちょっと観光を・・・と思っていると、なんとなくポニョの話に。
「モデルになった家があるんですよ」
ここから山の上の神社に向かっていくと、途中にその家があるという。これだ。これぞ観光らしい観光だ。見るしかあるまい。
店主にお礼を言い、外へ出る。暑い。というか痛い。日差しが肌に刺さる。もう一回喫茶に入ああ、なんという猛暑だろう。これが地球温暖化の影響か。
早速吹き出した汗を拭きつつ案内された山の方へ歩いてみる。
・・・のだが、なんか人影が無い。あれ?さきほどの灯篭付近に居た人々はこっちまで来ないらしい。しかしここまで人が居ないと逆に不安になるのはなぜだろうか。
そんな心細さを抱えつつ地図を頼りに進んでいくと、程なくして地図が現れた。
この明円寺というお寺の近くがポニョらしい。
この先50Mにかの巨匠がインスピレーションを感じた建物があるのだ。もはやパワースポットと言っても過言ではあるまい。ここは押し通るほか無い。
うきうきしながら暮らしていたら難儀しそうな急坂を一生懸命あがっていくと、その神社が現れた。その時である。
親鸞がいる・・・!!
少し前に借りた小説、親鸞に出てくる親鸞が突然目の前に現れて鼻血が出るかと思った。うおお!モノホンか・・・!
とはいえまだ自分の親鸞の物語は途中、この先の展開に胸を躍らせる楽しみはまだ道半ばである。
折角なのでお参りをさせていただいた。道中安全に走れますように・・・
「それにしてもポニョはどこに・・・?」
お参りを終えた後周囲を散策してみるも、それらしき建物が見あたらない。おお?
しばらく坂の多い街をまわるも見つからない。かなり探したものの、どこにもパワースポットが無いのである。あと凄く暑い。
振り出しに戻ってきました(真顔
いや、見つからなくたっていい。ここには美しい港街、そして古くから大切にされてきた歴史の街がある。
確かにポニョのモデルはパワースポットかもしれない。かの巨匠がインスピレーションを感じた雰囲気があるのかもしれない。
しかし神奈川から自身の足でたどり着いたこの街、ここが俺のポニョだ。
お土産屋で少し土地の物を購入、愛車の下で地図を広げていると「舶来物ですね」お店の方が出てきた。ほほう。この愛車を知っているとは・・・趣味人とお見受けした。
「ええ。トラは2台目なんですが、とてもいい子ですよ」
「いいですね。今日はどちらに?」
「この後は尾道へ。目的地は佐世保なんです」
「尾道は近いですよ。ここから30分~40分で行けます。山を越えてすぐですよ」
「おお、近いですね!」
話し込んでたら13時過ぎてた。
続く